学長ノート

背負わない、夏。

2014/08/08

今村 正治 元副学長

8月はなんてったって、日本に住んでいる人間にとっては、戦争と平和の月です。
ヒロシマ、ナガサキ、日本の敗戦による第2次世界大戦の終結、そんなことが1945年、暑い夏の10日ほどの間に続いて起こったのですから。

この8月5日、「第25回東アジア大学生平和人権キャンプ」がAPUで開会されました。このキャンプは、APUと立命館大学、そして韓国の5大学の学生が、年2回集い、語りあい、学びあう企画なのです。そこで僕は、こんな話をしてきました。
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APUでは、常に約80カ国・地域の学生が共にキャンパスで暮らし、学んでいるわけですが、これまで文化・宗教・政治体制の違い、あるいは時々の国家間の対立を背景に、学生の中で深刻な争いが生じたことはありません。共存する平和のカタチがAPUでどうして実現できているのか。

僕は、学生たちが自分の国のことをいったん脇におく、そう、冷蔵庫に保管するようにしておいて、友人として向き合うことができているからだと思います。自分と国を同一化させすぎない、自分の国を背負いすぎないことが、平和の秘訣ではないかと。 日本と日本人と自分、韓国と韓国人と自分、この3つの関係を一体化させすぎないほうがいいと思います。ナントカ国という立場、ナニナニ人としての自分を背負いすぎてはいけない。

歴史問題についていえば、今の世代には責任はありません。あなたがたは加害者でも被害者でもないのです。自分がしたことでもないのに、それを強く否定したり、自分のことのように贖罪意識を持ったりする必要はありません。

よく、未来志向という言葉が使われます。しかしこれは、過去を置き去りにして、未来を向くということではありません。歴史的な問題に責任がないといって、歴史について自分なりの見識を持つということまで放棄してよいとは考えません。日本の学生のみなさんには、近代以降の日本が、なぜ愚劣で陰惨な戦争を引き起こし、アジア太平洋の国々を侵略していったのか、なぜそのようなことを国民が食い止められなかったのかについて、しっかり考えて欲しいのです。未来志向とは、約束された希望の道ではありません。日韓の若者が、平和の実現のために、苦難を厭わず、ともに歩んでいくという意志を共有することなのです。

みなさんには、グローバルな視野から、日韓・東アジアを見つめてほしいのです。それはたとえば、中東・ガザから、ウクライナから、日韓・東アジアを見つめるということです。彼らの、彼の地の問題と矛盾と自分たちのそれらを照らし合わせてみると何が見えるでしょうか?
そして、東アジアの隣人として、共通の課題を見出すことも意義深いことだと考えます。原発問題、基地問題、経済発展、少子高齢化・・・これらこそ、後世に先送りせず、自分たちが深く考え、解決していくべき課題です。これらの課題解決プロセスは、日本や韓国のあとに続いて、経済発展を進めようとする国々に、生きた教訓を提供することになると思います。

日中韓三国は、国家間においては、残念ながら楽観的な展望を持ち得る状況にはありません。しかし、だからといって、政治、経済、文化、人と人との往来、つながりが断絶することもありえません。日韓の若者、中国を加えてもいいのですが、いい意味でも悪い意味でも東アジアの先進国の若者同士が協同すれば、さまざまな分野でハイブリッドな新しい価値を生み出す可能性は十分あると思います。みなさんがそれぞれの国民として東アジアの国家間競争に連なる生き方をするか、あるいは国家の枠組みを超えて平和と発展のための協同と連帯に連なる生き方をするか、そんなことをこのキャンプで話し合っていただければ幸いです。 みなさんと私たちが担うべき責任は、今と未来にこそあるのです。



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