立命館アジア太平洋大学

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学長ノート

僕が立命館アジア太平洋大学の学長に就いたわけ

2018/11/26

出典:日経ビジネスオンライン(2018年9月3日)

「学長! マラウイに知り合い、いませんか?」

ふらりと学長室を訪ねてきたのは、卒業を間近に控えた一人の学生でした。どうしたのかと尋ねると、卒業したら10年間、アフリカのマラウイに渡るつもりだと言うのです。

大学2回生の時にマラウイに行って、人々の優しさやあたたかさに感銘を受けた。けれどもマラウイには主たる産業がなく、大変貧しい国だ。そこでマラウイで活動して、マラウイを盛り上げたい。そして年に3人、APUに学生を送るのが夢だ。「学長は顔が広いと聞きました。マラウイの経験者を紹介してほしいんです」。

そういうことなら、とマラウイに住んだことがある知り合いを2人紹介したのですが、こんなおもしろい学生がたくさんいるのがAPUという大学――僕が学長を務めている、立命館アジア太平洋大学(APU)なのです。

2018年1月から、僕はAPUの学長を務めています。

正式に発表されたのは前年の11月でしたが、かねてより僕のことを知っている人はかなり驚かれたようです。

なんといっても、2017年6月にライフネット生命の取締役から退任したとはいえ、45年近く携わってきた生命保険業界から、全く畑違いの教育界に飛び込んだのですから。それも、古希を過ぎたタイミングで。

第一報が出た後、よく聞かれたのが「やっぱり教育界に興味があったんですか?」という質問でした。僕は若者向けの書籍を書いたり、講演活動をしてきたこともあって、「いつかは教育界に」と考えていたのだろう、と思われたんですね。

しかし正直なところ……「いつかは教育界に」などとは、全く思っていませんでした。

僕にとっては、新卒で日本生命に入社した時や、投資家の谷家衛さんに誘われてライフネット生命を創業することになった時と同じく、「大きな流れに身を任せた」だけだったのです。

では、どんな「流れ」があったのか。ことのはじまりは昨年9月、ある人材紹介会社から送られてきた一通のメールでした。

推挙され、「枯れ木」として公募に参加

その人材紹介会社の人(要はヘッドハンターです)からのメールによると、どうやら僕が、ある大学の学長のポストに複数人から推挙されているらしい。「なんのことやら」でしたが、一度お話ししましょうと言うので、好奇心の赴くまま、先方のオフィスで話を聞くことになりました。

そこで、その大学がAPUであることを知らされます。

APUについては、実は数人の飲み友だちから、「とてもおもしろい大学がある」という話を何度も聞かされていました。

ただ、飲み会の席ですから、「へえー」と聞いていただけで、あまりよく覚えていない。とにかく「おもしろい大学」ということしか記憶にありませんでした。

そもそも「学長の公募」はおそらく日本初の試みとのこと。この時点で「非常にユニークだな」と好ましくは思いました。

でも、公募なら条件があるだろうと聞いてみると、第一条件として強調されていたことは「ドクター(博士号)を持っていること」、第二条件が「英語が堪能なこと」だというのです。

なぜ学長にドクターが必要なのかと疑問に思われるかもしれませんが、APUは教員の半数が外国籍で多くの教員がドクターを取得している大学の1つです。そんな彼らのトップに立つわけですから、ドクターレベルの学識は持っていないと、ということだったのでしょう(ただし、その条件に「それ相応の学識を有する人」とは書いてありましたが)。

一方、僕はマスター(修士号)すら持っていません。英語も、ロンドンで勤務していたのは四半世紀も前のことですから、全く堪能ではありません。条件を聞いた時点で、「候補者リストに加えてもらう分には構わないけれど、無縁の話やな」と思ったわけです。

家に帰って、家族に事のいきさつを話すと、「公募でしょう? いろんな人を集めなきゃ格好がつかないじゃない、枯れ木も山の賑わいでしょ」と言われて、妙に納得しましたね。

そこで、枯れ木だからと、いうくらいの軽い気持ちでインタビューに応じることにしました。

最初のインタビューは2017年10月に東京で。「どうせ枯れ木だから」と思っていたので、日本の大学について普段考えている問題点をざっくばらんに話しました。

その後、「11月にキャンパスを見に来ませんか?」誘われました。「たしかに、実際に見学もしていないのにリストに載るのはおかしいよな」と思って、大分県別府市に飛びました。

初めて訪れたAPUは、予想をはるかに超えて、刺激的な場所でした。

若者の国連、選考委員会のダイバーシティ、壮大なビジョン

到着してすぐに、学食でランチを食べたのですが(山の上にあるので、ここしか食べるところがないのです)、この学食に入った瞬間、本当にびっくりしました。世界中のありとあらゆる国から来た学生が、ものすごい勢いでしゃべっている。

僕の知っている「大学の学食」とはえらい違う。直観的に、「ここは若者の国連やな」、「小さい地球やな」と思いました。

学生約6000人のうち3000人以上、50.4%が外国人留学生。それも、肌の色から言語から宗教から、てんでばらばらの約90の国や地域から来ている。

こういった数字は、APUに関する前情報として、知ってはいました。けれど、いざ目の前に広がる光景を見ると、その「若者の国連ぶり」に圧倒されてしまったのです。

これほどダイバーシティ(多様性)にあふれた教育環境は日本中どこを探してもないな、といきなり引き込まれてしまいました。

僕は旅が大好きです。若い頃から最低でも年に2回、2週間ずつ海外を放浪してきました。けれど、70歳を迎えてもまだ、訪れたことのある国や地域はせいぜい80カ国程度です。

ここにいる学生たちの出身地は、僕がこれまでの人生の中で歩き回った国や地域よりも多い。もう、それだけですごいと思いましたね。

その時に説明された学長候補者選考委員会のメンバーが、「ダイバーシティそのもの」だったことにも心をつかまれました。

副学長(理事)をヘッドとしてAPUの教員が5人、職員2人、卒業生2人の計10人がそのメンバーで、そのうち外国人が4人、女性が3人。2013年に行動宣言が出された、いわゆる「女性管理職比率30%」を十分満たしています。大企業の指名報酬委員会でも、これほどダイバーシティが進んでいるところはほとんどないでしょう(大きな声では言えませんが、大体おじさんばっかりでしょう?)。

これだけでもう、APUが先進的な大学であることを確信しました。

もう一つ魅力的だったのが、APUの掲げるビジョンです。

2015年に、既に2030年のビジョンを策定していました。それは「APUは世界に誇れるグローバル・ラーニング・コミュニティを構築し、そこで学んだ人たちが世界を変える」――すなわち、APUで学んだ学生が世界中に散らばって、自分の持ち場で自分のやりたい仕事にチャレンジし、世界を変えていく、という壮大なビジョンなのです。

国連はSDGsという2030年ビジョンを策定していますが今の日本で、2030年という未来を見据えてビジョンを描いている大学や、企業が、どれだけあるか。APUの視座の高さを強く感じました。

若者の国連。選考委員会のダイバーシティ。壮大な2030年ビジョン。

この3つはとてもインパクトがあって、僕は一気にAPUが好きになりました。「東京に戻ったら、人に会うたびにAPUのおもしろさを伝えよう。応援しよう」と思いつつ、別府の山の上にあるキャンパスを下りたのです。

「もう、なっていただくことにしましたので」

そして2017年11月半ば。ヘッドハンターから、「ホテルで朝ごはんでも食べませんか」とお誘いがありました。選考の経緯などは全く知らされていなかったので、無事にほかの人に決まりました、別府まで行ってくれてありがとうございました、といった挨拶だろうと思って、気楽な気持ちで私服でホテルに向かいました。

すると待ち合わせのロビーで、「部屋を取っていますから」と言う。

そうか。オフレコの話だし、慎重を期しているんだろう。そう思いつつ部屋に連れられドアを開けると……ずらりと5人ばかりが起立して並んでいる。

そして、サプライズパーティの主役のように呆然とする僕に、選考委員長から「もう、なっていただくことにしましたので、よろしくお願いします」と声がかけられたのです。「こちらが秘書と広報担当です。今日から出口さんの面倒を見させていただきます。就任は年明けですが、よろしくお願いします」と。

その時の気持ちは、「これは……引き受けるしかない」。とても断れるような雰囲気ではありませんでしたからね、この流れに乗るしかない、乗ってみようと思いました(笑)。

僕はこの時、ライフネット生命の創業が「決まった」瞬間を思い出していました。

谷家衛さんに保険のことをレクチャーしていたら、会って15分ほどで、「新しい保険会社をつくりましょう」と誘われたあの時。「いいですよ」と即決した時のことを。

「ああ、あのときもホテルだったなあ」と。

僕の敬愛するダーウィンは、賢い者や強い者が生き残るのではなく、変化に適応できた者だけが生き残ると述べています。なにが起こるのかわからない世の中で、どんな変化に直面するかはダーウィンの指摘する通り、運と適応次第です。

だからダーウィニストの僕は、人間は川の流れに身を任せてたゆたうことしかできない、とずっと考えてきました。古希で迎えた大きな人生の変化に対しても、結果的にはいつも通り、流れに身を任せただけだったんですね(年明けに入れていた仕事の調整では、関係各方面に多大のご迷惑をおかけしてしまいましたが)。

ホテルを出ると、真っ先に岩瀬くん(ライフネット生命社長=当時)に電話をかけました。それまでは、APUの学長公募については誰にも話していなかったので(だって枯れ木ですからね)、少々面食らっていたようでした。

けれども、すぐに「そういうことなら仕方がないですね」と一言。

さすがに、僕の性格をよく分かっていたのでしょう(後日談として、大学側からは「記者会見までは口外しないでほしい」と言われたので黙っていましたが、岩瀬くんがこの電話の後すぐ、ライフネット生命の幹部たちに話してしまったようです。情報がオープンになった後、僕の秘書が「出口さんがかたくなに口を閉ざしているので、話を合わせるのに苦労しました」と言っていました)。

ちなみに……家に帰り、「来年からAPUの学長を務めることになったよ」と家族に伝えると、「枯れ木が選ばれちゃったのね」と笑われました。そして間髪入れずに「じゃあ、元気で行ってらっしゃい」。「一緒に来る?」という言葉を、僕は飲み込みました。

(構成/田中裕子)



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